カッコ左 繋がれた自由 カッコ右

繋がれた自由

私が幼少の頃、オモチャ屋に”有線リモコン式の戦車”のプラモデルが何処かのメーカーから売っていた事が有りました。
今でも売っているかどうか判りませんが、そのプラモデル、今なら大した値段でもないと思いますが、子供の頃は当り前のごとく非常に高価で昔有名だった「ショーウィンドーに飾られているトランペットを物欲しそうに眺める少年のCM」宜しく、店の人を気にしつつ箱を開けて良く眺めていた思い出が有ります。

最近そんな事をフと思い出しまして、そんな折「有線で繋がれた戦車は果たして自由だったのか?」を発端に、「もしヒューマノイドが出来た時はやはり最初は有線式なんだろうな」と考え至りまして、この作品を描いた次第です。

そう云えば昔買った、仁木ひろし 著「いつも心にバスケット・ケース」と云う漫画の単行本に、そう言う空想設定エッセイが載っていましたわ。
この辺、考える事は同じとは云え、私的には
「自由とは見えないケーブル(環境的、物理的制限)が有るからこそ自由が保証されているのでは…」
とか一寸哲学めいた事を無い頭で考え、更に
「果たしてこの少女が有線で繋がれている事に気が付いた時、自由と云う事をどう考えるのかしら?」
と、また新たな疑問が湧いて、なんだか寂しいやら可愛そうやらと複雑な感情が入り乱れてしまいました。

しかし、こんな事を考える私の方が世間的に「終わってる」のかも…(^^;)。

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